【オーラの泉】 江原啓之 と 柳原可奈子 2008/02/16

○柳原可奈子さんのプロフィール

 柳原可奈子(やなぎはら かなこ)
 生年月日:1986年2月3日
 出身地:東京都中野区
 血液型:B型

 高校卒業後、お笑いの専門学校に入学。
 2007年、美容師、アパレル系ショップの店員、総武線の女子高生などのキャラでブレイク。

 一人っ子で過保護なほど両親に愛されて育った彼女は、なぜか小学校5年生でお笑い芸人になると決意。

 高校を卒業すると、迷わずお笑いの専門学校に進みます。

 同世代のよくある風景をネタにデビューするとすぐに注目され、クラスの人気者がお笑い芸人となったのです。

○スピリチュアル・チェック

 ・性格を一言で言うと
  マイペース

 ・小さい頃なりたかった職業
  お笑い芸人

 ・リラックスできる場所
  自宅

 ・好きな男性のタイプ
  あんまり太ってない人

 ・座右の銘
  案ずるより産むが易し

○この番組について

 信じているところも半分ありますけれど、半分は、いやいやいやってところもありますね。
 これにでるってことになって友達にでるっていったら、私は終盤で泣くタイプだって言われたんです。

○子供の頃

 子供の頃はすごく神経質な子供でした。
 明日の授業の忘れ物がないかずーっとランドセルを確認してる子でした。
 それで、寝れないんですよ。
 臨海学校に行くとなったら、3ヶ月前からホームシックになったらどうしよう、泳げなかったらどうしようと考える。
 母が、私が常々そんなことを気にする子だったので、「案ずるより生むが安し」だよっていつも言ってくれてたんですよ。
 そういうしつけみたいなのがあって変わっていったのがありますね。
 良い暗示にかかった、と美輪さん。
 今でも何かある度に母親の言葉を思い出す。

 小学校の頃は目立ちたがり屋だった。
 よくモノマネをしていた。
 小学校5年生の時にお笑い芸人になることを決意した。

 母親は「薬剤師になれ」と言っていた。
 小学校の成績はオール5で良い大学に入れば間違いないだろう、と親戚からも言われていた。

○お笑い芸人

 ネタ作りは、実際にお店に行って観察する。
 最近は電車や喫茶店で会話を盗み聞きして作っている。

 着眼点がいい、と美輪さん。
 鼻持ちならない連中をからかい倒す反骨精神はいい。
 ファッション業界などでブランド物の名前をちりばめるのは、野暮だと気付いていない。

○家族

 リラックスできる場所は自宅。
 外を出歩いていると情報が多過ぎ、人の会話も聞こえてくるので疲れる。
 休みの時は家から出ず、コンビニにも行かない。
 生まれた時からそういう人、と美輪さん。

 家では犬と遊んだり、父親と会話をしている。
 父親とはすごく仲が良い。『きよし』って呼んでます。

 母親は「勉強しなさい」という人だったが、父親は何も言わない。
 ここぞ、という時だけ父親が前に出る。
 昔風な父母の役割分担、と美輪さん。
 バランスの取れた家庭。

 30代後半にできた子供なので過保護だった、と柳原さん。
 一人っ子なので小さい頃から人形のように育てられた。
 雑誌モデルをやっていたこともある。

○母親

 母親は2年前に病気で亡くなった。
 すごく辛かったが、自分が強くなった気がする。
 それまでは母親が何でもやってくれたが、自分でやらなきゃ、と思うようになった。

 子供を可愛がるのは結構だが、その子が一人になった時に大変、と美輪さん。
 過保護は親の満足で、子供には毒になる場合がある。

 母親は柳原さんの活躍を知らずに亡くなった。
 気持ちを切り替えられたのは、亡くなるまでの19年間に愛情をたっぷりもらったと思えるから。
 母親が亡くなったのは「きちんと一人で生きて行きなさい」という最後のしつけだったと思い、自分で変わろうと思った。
 意志が強い、と美輪さん。
 頑固だし、頑固と意思の強さがいい意味に働いたのね。

 今、カメラの前で母親のことを話せるのが不思議、と柳原さん。
 今まではそれを乗り越えられなくて、話すことさえできなかった。

 悔いがたくさんある、と江原さん。
 愛情をいっぱいもらったのに、返すことができなかった、という悔い。
 父親と母親が自分の世界の全てだった。

 家族が大好きだったが、母親との衝突もあった。
 仲が良いがための衝突。
 どうしてもっと良い時間を過ごせなかったんだろう、という悔い。
 その気持ちは母親は十分に汲んでいるので、母親に悔いはない、と江原さん。

 母親に精神的な不安定さがあった、と江原さん。
 複雑な気持ちの中でのやりとり。
 娘だから守らなければいけない、でももう大人に成長している、という葛藤。

 家族や夫婦でも全てが思うようには行かないため、それをどう受け入れて、良い方へ向いていけるかが大事。
 母親はそれを大人になってから話そうと思っていたが、絶たれてしまった。

○思い出

 母親の声も覚えていない、と柳原さん。
 すごく好きだったのに、最近は忘れてしまう。
 声、顔、思い出の順で忘れていく、とどこかで聞いたことがある。

 忘れてしまうのは良いこと、と美輪さん。
 充実するとそうなる。
 柳原さんは仕事や生活での充実感があり、母親はやるだけのことはやった、という充実感がある。
 愛情を注ぐ相手が誰もいなくて亡くなる人もいる。
 愛情面が充実していたので、母親は何も思い残すことは無い。

 母親を思い出して泣くことが最近なくなった、と柳原さん。
 寂しいことではない。
 亡くなった人が思いを残していて、マイナスの想念を持っていると、それがこっちへ伝わってくる、と美輪さん。
 原因も無いのに鬱状態になってしまう。
 娘の幸せは母の幸せ、と満足していればマイナスの波動は来ない。
 柳原さんの充実が母親の充実になる。

 この先も思い出す、人生の節目に思い出は蘇る、と江原さん。
 その時の自分と母親を重ね合わせて、「だからああいうことを言ったんだ」「ああいう行動をとったんだ」と納得できる。

 今の状況を母親は一番喜んでいる、と江原さん。
 泣いている柳原さんを見て、母親は喜ぶはずは無い。

 「去る者日々に疎し」といって。と美輪さん。
  (死んだ者は、月日がたつにつれて忘れられていく。転じて、親しかった者も、遠く離れてしまうと、しだいに親しみが薄くなること。)
 どんなに愛して、命がけで愛してる人でもね。時間がたつと忘れてくるのよ。
 忘れることは罪ではない。罪悪感を持つ必要はさらさらないわ。

 楽しい思い出だけを思い出せばいい、と美輪さん。
 良い思い出を思い出して、マイナスの事は忘れるようにする。
 そうすれば、孤独な時に楽しいことを思い出すことができる。
 思い出の上手な使い方。

○もうひとつ大切なメッセージ(番外編)

 お母さんは、最後の姿だけ誤解を解いておきたいということなの。
 あなた自身のトラウマとして心にひっかかっちゃってて、それで、思い出すのもつらい。
 少し、封印しておこうかなという問題になっちゃって、お母さんが最後に言ったことは、すべてが本当じゃないと。
 最後に、自分のわがままを全部出してね。全部膿だしして帰って行ったんだと、だからね、そのすべてをお母さんだと思わないでねって。
 それが、ぜんぶお母さんの本心だったんじゃないかとか、お母さんの本当の姿、本性なんじゃないかとおもわないで。
 違う、お母さんは、あなたのお母さんのままよと。
 それを、わかってもらえれば、あなたの中ですべてが良い思いでとしてよみがえるのに、最後のお母さんとのかかわりが、いままでのお母さんをね、叩きのめしちゃったみたいな気分にね。
 あなたの、そのこころをせき止めているものっていうのを、今日、ここでといておきたいと。
 あなたが思っているとおりのお母さん。
 それ以上でもない、それ以下でもない。
 後は、お父さんとの時間もそうだし、どれだけの時間をたくさんつくっていけるか。 と江原さん。

 あなたもね、聡明でいらっしゃるからよくおかりでしょうけれどね。
 あなたは、家事をやらせてもちゃんとできる人だし、気がつくし。
 妄想癖があるのは、これは諸刃の刃でね、ネタをつくったり、一人のときに楽しむとか、仕事とかに全部プラスに働く場合もあるけれど、それが、被害者妄想だとマイナス思考でどんどん自分を痛めることになる。
 だから、その妄想の使い方を上手にプラスのほうだけにお使いになればいいわけ。
 人はいろいろ、水仙のと思ってればいいわけだし。
 これで、どんどん進化して大人になっていくとね、いい言葉があったでしょ。
 「案ずるより生むが安し」とか、いっぱい知ってて、大人になって行くと、それがね、人生の達人になってきますよ。
 不思議なのがね。
 みんなね、スリムで痩せてて体が小さくてね、ファッションモデルで洋服が似合うにはそれでいいですよ。
みんな、女の人の目を意識して痩せててかっこいいとかいうじゃないですか。
 だけどね、男はむちむちぷりんがすきなのよ。
 どっちかというと、巨乳、爆乳じゃないけれど、
 なぜ、マリリン・モンローがなぜ世界中から愛されたかというと、二の腕がむちむちしていて、おっぱいが大きくて、ウエストは細いんだけれど、下腹が出ていて、太ももが大きくて、ひざから下はキューっとしまっているわけでしょう。
 本当にもてたければ、むちむちぷりんになってみなよって。
 そうすると、放っておいても男がついてくるよ。
 だから、あなたは、最大の武器をもってらっしゃるのよ。
 それと、微笑とをね。 と美輪さん。

○恋愛・結婚

 熱烈な恋愛や結婚をどこか否定しているが、あるらしい、と江原さん。
 その時はのめり込むから注意。
 免疫が無いから。

 生活の中の一部の恋愛しかしていない、と柳原さん。
 心の部屋の中から見ている世界だけだから、と江原さん。
 心の部屋から出てのコミュニケーションをしていない。

★スピリチュアル・メッセージ★

 たくさん愛情をもらったのに、返せなかったと悔やんでも、お母さんは嬉しくない。
 活躍する柳原さんの姿を見て、一番喜んでいるのは、お母さんのはずですから。


★オーラの言葉★

 どんなに愛した人でも、時が経てば忘れてしまうもの。
 亡くなった人を忘れることは罪ではありません。
 良いことだけ思い出すのが、思い出の上手な使い方。



○「オーラな出来事」 「母と息子 22年振りの再会」。

 母親と息子が22年振りに再会。
 その親子は、初めての子供を養子に出さなければならなかった女性と、実の母を知らずに育った青年だった。
 2人を結び付けた不思議な絆とは?

○最初の妊娠

 場所は、アメリカ合衆国ミシガン州グランドラピッズ。
 ホームセンターで働いている45歳の女性は、夫と2人の子供と暮らしている。

 本当は3人の子供に恵まれたが、ある理由があって最初の子供は自分で育てることができなかった。

 1985年、彼女は最初の子供を授かりました。
 しかし、まだ学生であり、シングルマザーを覚悟しなければならない状況だった。
 周りからも反対され、養子に出す選択を迫られた。
 そして、家族に説得され、養子縁組をして息子と離別。

○D.A.ブロジェット・フォー・チルドレン

 D.A.ブロジェット・フォー・チルドレンは、養子縁組を仲介してもらった民間団体。

 契約では、里親が誰だかは知ることができないが、子供が18歳になった時に母親の情報を知ることができる、という条項に彼女は同意していた。
 いつか、息子が探してくれることを願っていた。

 しかし、18歳を過ぎても20歳になっても、息子が会いに来ることは無く、自分を恨んでいると諦めていた。

 子供はフレイグ家に引き取られ、順調に育っていた。
 現在は配送の仕事をしているが、自分が養子であることは聞かされていた。
 子供は自分がどこから来たのかを知りたかったし、何かが足りない気がずっとしていた。

 息子の気持ちを知った両親は、本当のお母さんの捜すために協力することになった。

○実母探し

 2003年、実母に関する資料を請求し、実母の名前が判明。
 名前から住所登録を検索したが、何度やっても何も手がかりは出てこなかった。

 2007年10月、たまたま実母の名前のスペルを誤って入力すると、4年間探し続けていた実母の住所が偶然見つかった。
 (原因は養子縁組団体の資料のスペルに間違いがあったため。)

 実母の住所を調べたところ、家からわずか3kmの距離にあった。
 しかし、いきなり会いに行っていいものか悩み、なかなか決心がつかなかった。

 職場の上司に相談したところ、その上司は実母の名前を聞いてびっくりした。
 その理由は、同じホームセンターで働く同僚だったため。
 実母は同じ職場で働いていた。

 そして、二人は感動の再会を果たした。

 ずっと探していた母親がこんな近くにいたことは奇跡としか言いようがない。

○江原啓之さんの見解

 4年間待たされたのは、待つ時間が長ければそれだけ感動が増えるが、そこまで会いたいか、と試されていることもある。

 行い正しき事は必ずその報いがある。
 みんな良い人なのは、行いが良いから。

 こういう極端な例は、みんな奇跡を感じるんだけれど、日常の中の奇跡はみんな忘れるんですよね。
 なぜこの人と婚姻までしたのか、なぜこのメンバーとグループを組んでいるのか、など。

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