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help リーダーに追加 RSS 【オーラの泉】田中義剛さん (詳細版)

<<   作成日時 : 2008/11/03 21:40   >>

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★スピリチュアルチェック

 ・小さいころどんな子供でしたか?
  聞かなかったですね

 ・あなたの趣味はなんですか?
  馬に乗ることです

 ・よく見る夢はなんですか?
  カビに襲われる夢です

 ・あなたの人生で最大の転機はいつですか?
  16歳のときに、一番の親友が船で遭難して、
  死んだことですね

 ・何か不思議な体験をしたことはありますか?
  その友人の葬儀の時に、お寺から自転車で帰ったんですけれど、
  家に着く1キロ前に自転車の電気が全部消えて、
  乗ってるんでね、後ろ、
  怖くてふりむけなかったんですけれど、
  自分では、友達かなと思います。


 国分 義剛さんもいろんな番組でてるかと思いますけれど。

 田中 実は、これ、聞いてみたことがあるから、
    出さしてもらえませんかと、半年ぐらい前から、
    機会があったら出さしてください、
    聞きたいことがありますと。

 国分 半年たって今ってことは、
    半年たった意味ってことがあると思うんですよね。
    美輪さんとは。

 美輪 もう、離婚した仲なの。

 田中 15年ぐらい前ですかね、
    和田アキ子さんが、番組で骨折してですね、
    休業された時にですね、
    美輪さんがピンチヒッターで来ていただいてね、
    和田さんの代わりに美輪さんでしょう。
    だんだん、重くなってくるんですよ。

 国分 15年ぶりですか。

 美輪 時期が来たんだびゃー。

 田中 今、50歳になったんですけれど、
    今だったら素直に聞けるなと。

 国分 といいますと、
    まだ、若いころは。

 田中 まだ、恥ずかしい気持ちと、
    自分だけがすがるものとしていたんですけど、
    今だったら、すごくオープンに話せるなと。

 美輪 まるくなったのね。
    頑固で、俺様だったのに。

 田中 時期が来ました。


 北海道中札内村、花畑牧場
 その牧場主である田中義剛さん
 酪農家を目指したきっかけは、
 親友との悲しい別れでした。

 1958年 青森県八戸の漁師町に生まれ
 家業を継ぐのが当たり前の町で、
 数少ないサラリーマンの家庭に育った田中さん
 中学時代、生涯の友と出会うのです。


 国分 北海道の出身じゃないんですね。

 田中 青森なんです。
    八戸っていう漁師町で、一人っ子で生まれたんですね。
    周りが、全部、漁師さんの子供ばっかりだったんですよ。
    汚くて乱暴でね、11クラスあって、
    番長とか、副番長とかいたりして。
    それで、アキノリっていう友達がいて、同級生で。
    そいつが、親が漁師で、いつも遊んでいたんですけれど、
    中学校3年生のときに学校の先生が聞くわけですよね。
    お前ら将来何やるんだ、
    一人ずつ言ってみろって。
    漁師のやつは、ほとんど、
    おら船乗りになるって。
    アキノリも親父のあと継いで船乗りになるって。
    かっこいいな。
    田中、お前は。
    わかりません。
    サラリーマンって、継ぐものもないし、
    何も考えなかったんですよ。
    初めて漁が、高校1年生ですね、
    義剛、魚とってくっからよって、
    港にいったんですよね。
    で、見送りに行ったんですよね。
    じゃあ行ってくるなって。
    船は、沖にかけてずーっと一周して、
    北の海にずーっといくんですよね、
    俺、それみてかっこいいなーって。
    最高だなって、思ったんですよ。
    俺は、高校生活つまんなくて、
    何やってんだって思いながら、
    高校一年生の夏。
    いきなり、船が遭難したという知らせがきたんですよね。
    びっくりしまして、
    ぜんぜん信じられなかったんですけれど、
    遺体も上がらないんです、船は。
    で、地元の新聞に、船が遭難したっていうんで、
    写真が載るんですけれど、
    コック長、オオサカアキノリって載ってるんですよね。
    コック長っていうのは、一番船のそこで、
    料理を作るんで、脱出できなかったって。
    そんな事実があとからわかって、
    かたや、自分の夢を語って、
    初めての夢の目的のために漁にでて死ぬ。
    かたや、高校でボーっとしてる。
    もう、わからなくなって、
    ずっともう人としゃべれなくなって、
    親も心配して、ずっとふさぎこんでたんですね。


 義剛さんにとどいた突然の不幸
 船乗りを目指した友は、夢半ばで帰らぬ人となりました。
 しかし、二人の絆は変わることなく、
 オオサカさんは義剛さんを導く声となって心の中に生き続けるのです。


 田中 高校1年の春に、アキノリの亡くなったオホーツクの
    海まで行こうってので、一人でリュックサック背負って、
    八戸から連絡船に乗って、函館について、
    函館から、苫小牧について、
    苫小牧から、襟裳岬までいったんですよ。
    とにかく、花を持って、
    何でなんだろうって。
    悲しい、悔しい、何でなんだろってので、
    花を持って、投げて、
    それで、帰り道に、お金が無くなって。
    様似っていう駅から戻ってきて、
    日高門別っていう駅で降りたんですね。
    それは、牧場しかなくて、
    サラブレッドの牧場があって、
    荒木牧場さんってところがあって。
    そこが、飛び込みです。
    行って、すいません、働かしてくださいって。
    そしたらそこの場長さんが、
    おめえ家出か?って、
    いや、家出でねえって、
    実は、友達がこうこうこうでって、
    いったら働かしてくれたのね。
    一週間、泊めてくれて、
    馬の世話をしろと、
    それから3日ぐらいしたら、
    朝4時ぐらいに、馬が出産すると、
    みんな起こされて、
    義剛おまえも来るかって、
    言うから行ったら、初めて馬の出産とか見たんですよね。
    破水して、顔が出てきて、ひっぱって、
    ひっぱったらその瞬間からもう立とうとするんですよ。
    だーっと立った瞬間に、朝日がだーっとでてきたんですよ。
    そのインパクトがすごかったんですね。
    かたや、俺の友達は死んだ。
    かたや、生まれる。
    これは、牧場やれってことかなと。
    16の時にそう思って、
    じゃあこれをやればいいんだろって、
    よしって開き直って、
    そっからまた元気になって、
    青森に帰ったっていうのがスタートです。

 国分 やればいいんだろうってのは、
    親友に聞いてる感じなんですか。

 田中 そうです。
    全部、そっから問いかけだったんです。
    お前は、夢かなえて死んだべって、
    俺もかなえてやるから、
    でも、俺は漁師できねえから、
    そこであった牧場をやればいいんだろって、
    やってみせるって思ったのは16の時だったんです。


 襟裳岬で花をたむけ、友の冥福を祈った帰り、
 偶然、たちよったときにみた、新しい命の誕生
 亡き友が牧場をやれといっている、
 義剛さんはそう確信したのです。
 生まれて初めていだいた夢、
 しかし、厳しい現実が待ち受けていました。


 田中 お二人の先生に聞きたいんですが、
    ばかでないかと思うんですね、自分で。

 国分 すいません、
    何とも言えないんですけれど。

 田中 でも、牧場やれると思っていたんですよ。
    くわで耕せば牧場できるし、
    そこに牛を放せばいいと思っていたんですよ。

 美輪 子供はそうなのよ。

 田中 高校時代の時に、
    先生、俺、牧場やるんだっていったら、
    おまえ、金あるんか?っていうんですよ。
    金ってなんすかって、
    お金なんかないですよ、うちはサラリーマンだしって言ったら、
    お前、牧場するのに、最低2億はかかるぞっていわれたんですよ。
    土地買って、牛買って、サイロ立てて、機械買って、
    最低2億はかかるぞっていうんですよ。
    2億どうやって準備するんだって。
    で、うちの親父に電話して、
    親父、2億ねえかっていったら、
    お前馬鹿かって。
    もうそれで終わるじゃないですか、夢で。
    俺みたいな馬鹿が何人かいたんですよ。
    そいつら修正して、酪農関係の仕事につくんですよね。
    か、どっかの牧場に就職するんですよね。
    俺は、牧場の主になって、自分の牧場を作るって決めてたんで、
    ラジオから、
     〜季節の中で〜 眠る〜
    って聞こえてきたんで、
    松山千春さんですよ。
    何だ、この人って思って、
    田舎から出て来て、ギター一本でビッグになって、
    お金稼いでいたわけですよ、
    これしかねえと。
    何だ、田舎から出てきて、
    ものすごく田舎くさい人だったんですよ。
    なんだ、松山さんができるんだったら、
    おれもできるべって思って、
    そのラジオのオーディション受けたんですよ。

 国分 どんな、オーディションですか。

 田中 歌のオーディションで、受けたんですけれど、
    しゃべりで合格したんですよ。
    歌は落ちたんですね。
    で、ラジオ番組をやらしてくれると、
    これで、牧場できると。
    やったと思うでしょう。
    5分の番組で、田中義剛の酪農根性っていう番組で、
    5分間牛の話だけしてくれって言うんです。
    スポンサー農協で。
    視聴者から、気持ち悪いって言われて、
    3ヶ月で終わったんですよ。
    やらなくちゃいけないんですよ、
    でもそういうことの繰り返しですもん。

 国分 東京に出てきたのは、いつ頃なんですか。

 田中 28です。
    吉幾三さん、『俺ら東京さ行ぐだ』がヒットする前、
    俺よりものすごく貧乏だったんですよ。
    何だ、この人と思って。
    吉さんが俺がいっぱつ当ててやるからよって俺のところに来て、
    「テレビもね、ラジオもね、車もそれほど走ってね」
    これが、ねぶた祭りのラッセーラー、ラッセーラー、
    ラッセーラッセーラッセーラーって、
    青森県のこころに響くわけですよ。
    吉さんこれ売れるよって、
    そしたら、本当に売れて、
    いきなりあの人も大金持ちになったわけですよ。
    で、吉さんが俺に言ったの、
    いつでも東京に来いって、
    俺が全部面倒みてやると。
    やめて全部、そして、東京に行ったんですよ。
    したら、おめえ本当に来たのか?って、
    そして地方巡業に行ってたんですよ。
    だから、必死に自分で事務所を探したんですよ。
    帰れないんですからもう。
    それが、今の事務所なんですけれど、
    それがちっちゃい事務所でね。
    それで、社長と出会って、頼むから入れてくれと、
    俺、帰れないから。
    わかったと、先輩、堀内孝雄さんしかいなくて、
    だれも売れてなかったんですよね。
    そしたら今、なんか大きくなっちゃって。


 東京で売れるには、吉幾三さんのようにヒット曲を出すしかない、
 そう思って上京した義剛さん
 歌手としてデビューしましたが、
 さっぱり売れず
 タレントとして、バラエティー番組で活躍するようになったものの、
 牧場への夢は遠く満たされない毎日が続くのです。


 田中 自分で不思議なのは、レギュラーを10何本やってまして、
    やってたんですけれど、
    心ここにあらずで、
    いつかは終わる、絶対終わる、
    こんなわけねえってずっと思ってたんですよ。
    そのとき、そのまんま東、東国原知事、
    同じ歳で、話してたんですけれど、俺ら違うよねって、
    ずっと芸能界にいるタイプじゃないよねって、
    ずっと言ってきたんですよ。
    会うたびに、俺、芸能界やめて何かやってやるみたいな。
    そんなことばっかり言ってたんですよ。
    俺もやめるための準備ばかりしてたんですよ。


 いつか、芸能界をやめて、ほかの道に進もうと語り合っていた二人
 義剛さんは東さんから大きな刺激を受けたといいます。


 東国原 マラソンって何がおもしれえんだっていうんですよ、
     だったら俺と一緒に走れっていったんですよ。
     そしたら、2キロついてこれたかな。


 将来に備えて体力づくりをしていた東さん
 皇居の周りを2人でジョギングしていると、
 義剛さんはまったくついていけなかったのです。


 東国原 それで、じゃあ俺も生活を改めて、
     邁進しようとなんか、一大決心をしたみたいですよ。
     走ってると、私はそんなことはぜんぜんなかったんですけれど、
     この歳になると感動がうすれてくるし、
     感動に出会えないから、だからそういったものを、
     熱い心をもっていろよというメッセージだったんですけれど、
     それが彼の夢、牧場の夢に火をつけた、
     ますます火をつけたと彼はいってました。
     私は、ぜんぜんそんな。
     ただ、皇居を走りたかったっていうだけ、はい。


 東さんに刺激され、
 夢を取り戻した義剛さん
 1994年、事務所から借金をして、
 北海道に7万坪の土地を購入
 念願の牧場経営にのりだしたのですが、
 本当の苦労はそこからでした。
 働けども増えるのは赤字ばかり、
 結局、4億円もの赤字を背負うことなるのです。


 国分 2億どころの話じゃないですよこれ、
    ふたを開けると。

 田中 ひどかったですね。
    ずっと赤字だったんですよ、
    本当に語るとつらくて、やめようと思ったんですよ。
    うちの家族、子供3人、かみさんいて、
    3億ぐらい赤字になった時に、
    さすがに言えないですよ、言えないよ。

 国分 言えないですね、3億も。

 田中 うちの親父とおふくろも青森から呼んだんですね。
    呼んで、家族5人いて、逃げられないじゃないですか、
    やればやるほど赤字。
    で、東京行って稼ぐしかないんですよ、出稼ぎ。
    TVの仕事をするしかない。
    もう、そのバランスで、ちょっとおかしくなっちゃってね、
    どうしようかなと思ってね。

 美輪 事業の方の採算だとかね、
    製造の方を常に考えなければいけないしね。

 田中 最後、大逆転でやったチーズも、
    カビだらけで全部返品になってね。

 国分 それで、夢でカビに襲われる夢をみるんですね。

 田中 そうなんですよ。
    今でも、カビって聞いただけでだめですよ。


 4億円の赤字を背負ってなんどもやめようと思った牧場経営
 窮地を救ったのは、義剛さんの情熱とアイデアでした
 ひょうたん型のチーズ
 『カチョカバロ』がヒット商品となって、
 さらにチーズを作るときのホレイという廃棄物をつかって、
 豚のえさに利用して、ホレイ豚酪農を始め。

 また、おがくずと微生物を利用した、
 バイオベットを養豚場に敷き詰め、
 糞尿処理のいらない清潔な豚舎を作るなど、
 新しいアイデアを次々に実現
 観光客の集まる牧場を作り上げたのです。

 牧場のスタッフは

 スタッフ すごく厳しかったですね。


 情熱とアイデア乗り切った赤字
 そして、話題のヒット商品が登場します。
 行列ができるほど人気の生キャラメルが登場したのです。
 親友の代わりに果たした夢
 今では、年商50億円の牧場を経営するまでになりました。


 情熱とアイデアで乗り切った赤字
 そして、ついに話題のヒット商品が完成します。
 行列ができるほど人気の生キャラメルが完成したのです。

 今や年商50億円の牧場を経営する義剛さん
 その成功の影に、あるスタッフとの絆がありました


 田中 3年ぐらい前からそのチーズ売れ初めて、
    ひとつ成功すれば、
    あっ、こうすればいいんだ...
    こうすればいいんだって。
    それから、生キャラメルの製造に取り掛かったんです。

 美輪 おいしいんですってね。

 江原 おいしいですよ。
    わたしは、もちろんいただきました。
    おいしいです。

 田中 そんなに評判なんですけれど、
    こんなちいさなトウなべで、作ったんですよ。
    手作りで。
    で、やっと年商がいくらとかTVでいわれて、
    ところがとんでもなくて、
    3年前まで、4億円の赤字、
    うちの社長いわく、
    9回裏のホームランだなと。
    もう、お前はアウトだったんだよと、
    俺もそう思います。
    アウトの覚悟はできてましたと、
    で、スタッフがみんなやめたんですよ。
    この牧場には、明日がないと、
    もうつぶれる、
    十勝じゅう噂になって、
    あそこはつぶれると。
    そこで、一人だけ残って全員やめたんです。

 国分 何人ぐらいいたんですか?

 田中 30人ぐらいいたの。
    ひとりしか残らなかったですね。

 美輪 よく残りましたね、その人も。

 田中 さっき出てきた人です。
     *インタビューで答えた男性スタッフ。
    美輪さん何か。

 美輪 いや。
    亡くなったお友達にどことなく似てる人だなと。

 田中 ドッキリしました。
    彼が最後まで残ったスタッフで、
    松永っていうんですけれど。

 美輪 私は、あの方の映像が写ったでしょう、
    さっき、亡くなった親友の方、
    ふっと、その方に見えたんですよ。
    似てる方だから、申し上げたの。
    似てますねっていったの。


 従業員がみんなやめて行ったとき、
 ただ一人残って義剛さんを
 支え続けた松永さんが、
 亡くなった親友のオオサカさんに似ている
 それは、単なる容姿の問題ではなかったのです。


 美輪 あの方には、時々のってたと思うのね。

 江原 その言葉がね、
    その彼が言う言葉が、残ってくださった方の言葉で、
    ふっとわれに返ったりね、
    口を借りるってことです。

 田中 たまに言う言葉は、
    ずっと胸に残っているんですよ。
    本当に昔は、言葉もきつかったし、
    おっしゃるとおり、あの、乱暴だったんですよ、
    やりかたが。
    やめていくのは当然だと思います、みんな。
    やめていくのは当然で、それをもって、
    牧場を閉鎖しようと思っていたんです。

 美輪 考えないで、自分の感情だけで、
    ものを言ってたんですよ。

 田中 全部そうでした。
    経営者としては、最悪でした。

 美輪 そのお一人残った方は、
    やめようと思った瞬間に、
    友達がのっかるんですよね。
    で、まあまあってこっちの方へって。

 江原 そうですよね。
    何度もやめようと思ったと思いますよ。
    だけど、お友達の感情が入るんですよ。
    ずっと10年間、変わらず一緒にいたパートナーで、
    みんなやめた時、
    そいつだけが、残ったんですよ。
    それが、もしやめたらやめようと思っていたんですよ。
    借金がそうとう膨らんできて、
    さすがにうちの事務所も、
    もういいだろうと。
    「銀行入れて、整理しようか」と、
    そういう話まででていたんです。

 国分 そこまででていたんですか。

 田中 かならず、そういう時に、
    友達に聞くんですよ。
    もういいべと。
    やめさせてくれよ、おれはやったよねって。
    だめだっていうんですよ。

 国分 そのあとは、残ってくれた彼もいたおかげで。

 田中 今、牧場のスタッフが500人になったんですよ。
    本当に一人から3年で500人になったんです。
    村の人口4000人しかいないんですよ。
    奇跡だと思ってますけれど、
    諦めなかったから今があるんで、
    諦めないストーリーが偶然なのか、
    それともそういう風になってたのか、
    50歳になってみて、
    聞きたい。

 美輪 青写真で、なったのか、
    それとも自分の努力でなった運命なのか、
    それともお友達の加護があるのか。
    いろんなパターンがあるけれど、
    分析して知りたいとおっしゃるのね。

 田中 そうです。


 今はなき親友との約束
 夢の牧場を実現させた田中義剛さんに、
 とどけられるメッセージ
 夢を現実にするには、節制と体力が必要だと教えてくれた、
 東国原知事
 そして、赤字続きの牧場で、
 みんながやめていったとき、
 ただ、一人残ってくれたスタッフ
 困難にぶつかるたび、なぜ救いの手が差し伸べられるのか


 江原 オオサカさん、お友達、
    ずーっと一緒にいるのは確か。
    義剛さんが聞いているのは、まぼろしではなくて、
    本当のコンタクトなんですよね。
    でね、最初からなんですけれど、
    義剛さんの横にずっといるんですよ。
    いててね、聞いてると、なんだか切なくなっちゃって。
    彼は彼で、16年間ですよね、
    彼は、義剛さんは知っているっていうんですよ。
    あの、結構、苦労が多かったってことを、
    家のこととか、
    さっき、船がいってかっこよかったって言ったでしょう。
    それは、本当の気持ちじゃなかったって。
    彼の気持ちでは本当は、もっと自由がほしかったんだけれど、
    親を楽にしたい。
    牧場っていうのをやらせるのは、そこを通して、
    馬とか生き物、それを通して、
    食べ物、そして、人の笑顔が欲しいんですよ。
    そっちにお前はいけと。

 田中 あの、襟裳岬いって、馬に会って牧場。
    次は、中札内村で、地元の人が売ってくれないというなかで、
    奇跡的にその土地が買えることになって、
    それが飛行場の隣で、
    いつも嫁さんと見るんですけれど、
    それもなんかあるんですか。

 江原 はい、あります。
    それがなかったら、義剛さんすぐなげるんですよ。
    やめるのがすごく早いんですよ。

 田中 早いですね。

 江原 あの因縁じみた場所でなかったら、
    ねばれなかったと思う。

 田中 いや、そのとおりです。
    私はすごく気が短くて、すぐに切っちゃうんですね。
    でも、牧場をするという夢は、
    16の時から変わらないんですよ。

 江原 ほかの違う場所だったら、
    もっとはやく万歳することがあったと思うんですよ。
    でも、その場所だからできなかったと。

 田中 できなかったです。

 江原 義剛さん、だれの言う事もきかないでしょう。
    それこそ、親だ嫁さんだ、誰の言う事も聞かない人が、
    彼の言う事だけは、聞くんですよ。

 田中 そうです、そうなんです。
    それは、わからないですよ。

 江原 だから、それは、彼が生まれて初めて心の交流を
    結んだ人であるからですよね。
    親、意外にね。

 美輪 向こうもね。

 江原 義剛さんが大好きなんですよ、
    この人。
    一心同体でね。
    大好きなの。
    で、そこで、自分の夢を託されたんですよ。
    だから、託されたっていう絆が、
    今日のここまであるんです。


 北海道に帰るたびに飛行機から見える襟裳岬
 そこは、親友に花を手向けた思い出の場所
 義剛さんがそこで牧場をはじめたのは、
 けして偶然ではなく
 くじけそうになると親友のことを思い出し、
 奮起させてくれる場所だったからなんです


 江原 ひとつ、余談ですけど、いいですか。
    夢物語と思って聞いて下さい。
    義剛さんの前世ね、
    ヨーロッパにいらしてた時代があって。

 田中 私がですか。

 江原 何か、ちょっと不釣合いな感じがしますでしょう。

 田中 ありえないですよね。

 江原 私が見るにはね、
    フランスとか。
    でいて、やっぱり、農場をやってたわけですよ。
    ぶどう。
    それをやってて、
    いずれそういうことを着手するかもしれませんよ。

 田中 俺、ニュージーランドに30回ぐらい行ってるんですけれど、
    欲しいワイナリーがずっとあるんですよ。
    ちっちゃいワイナリーで、
    もう買おうと思ってたんです。

 美輪 やるようになるのよ。

 江原 そう、そのときのは、
    苦労して得たんじゃないんですよ。
    要するに、親から引き継いだ農場。
    農園でやってくれる人たちがいて、
    ぶどうをつくって、ワインをつくって、
    自分はあがりだけ見てるから。
    で、そのときのご趣味が馬だったんです。
    前世からして、チーズには縁があるんですよね。
    ただ、そのときに、破産してるんですよ、
    道楽がすぎて。
    で、ごめんなさいね、
    こっからが重要で、今日、
    義剛さんがいらした意味。
    今がかなめでこれからですよっていうことの注意を与えられてる。

 田中 わかります。

 江原 借金は無くなったかもしれない、
    でも、今こそ会社の体制をきちっとしなければいけないと
    いうことを、教えている。
    今まで、自分の目の届く範囲のなかで、
    一生懸命やってきたけれども、
    ちょっと限界がきてるらしいんですよ。
    そこで、ちょっと不協和音もでてきちゃってる。
    人数も多いし、
    そこで、きちっと経営というものを、
    しっかり勉強して、
    維持させていかなくちゃいけない。

 美輪 それと、人心掌握術もあるからね。
    うーん、あんた、こうやってお話してると穏やかだけど、
    仕事のことであれするとものすごくきつくおなりに
    なるのが見えるのね。
    本当に仕事のことでばーっといってるんだけれど、
    それは向こうの人にはね、
    うらみになる人がいるのよね。
    どうしても一人で目がとどくようにやってると、
    どうしても限界がありますよ、
    時間的にも。
    そうするとね、投げ捨てるようにいって回るしかなく
    なっちゃうんですよ。
    だから、今こそそういうところをきちんとして、
    ようするに、失わないように。
    失わないようにというのは、
    財産としてとか、そういうことじゃなくてね、
    やっぱり、それだけの人たちが働いているということは、
    その人たちの生活もあるわけで、
    土地への貢献もあるわけじゃないですか。
    そういう意味ではね、
    みんなの笑顔をね、
    無くさないようにっていうね。
    さっきから、統一してるのは、
    笑顔なんですよ。
    生き物が生きていることとか、
    自然とか、とくに大事にしなければいけないと、
    特に今のご時勢そうですよね、
    ニュースとか見たりすると、
    食べ物への感謝とか、
    自然への感謝とかそういうものが無くなっている。
    彼の全部示しているのは、人の笑顔なんですよ。

 美輪 今までで、成功しました。
    それは、田中さんの純粋さと情念で生きてきたのよ、
    根性で、お友達に対する責任感とか。
    会社が大きくなったらね、
    根性や精神論だけじゃ成立しないんですよ。
    あくまで、あなたの精神、根性はおいといて、
    理性だけ。
    理性だけで、すべて計算して、
    人心掌握術で、かーっときた時も、
    それをのんで、
    頭が冷えたところで、こうでこうでこうしなさいよ、
    とあらためて、
    それは、経営者の帝王学なんですよ。
    そこへ、ちょうどきてらっしゃる。

 田中 まさにこうなる予想はしてなくて、
    はっきり、自分ひとりではどうにもならない状況まで、
    追い詰められてます。
    ここへきたのは、50歳になって、
    冷静に振り返りたかったんですね。
    そうすると、これは、自分にとって奇跡なんですよ。
    もしそれを、友達がプレゼントしてくれるんだったら、
    その奇跡を少しでも長く大きくしたいなって思っているんです。


 夢を追う情熱だけでがむしゃらに突っ走ってきた義剛さん
 牧場からヒット商品も生まれ、
 従業員も増えた今、
 経営者として冷静に理性でものごとをすすめていくべきなのです。
 そしてもうひとつ、不思議な絆があかされます。


 江原 そしてあともうひとつ、
    義剛さんのおじいさんね、
    おじいさんの思いもあるって、
    それも伝わっているんですよ。

 田中 うちのじいさんというのは、
    もう、わたしが生まれる一月まえに死んだんですけれど、
    山形で、農業も改良普及やってまして、
    田中ショウスケって石像がたってるんですよね。

 江原 ものすごいアイデア家でしょう。

 田中 はい。
    当時、稲の北限が山形だったんですけれど、
    それを改良普及して、それを全国に教えてまわって、
    同時に長唄とかそういう、趣味を広めてまわって、
    そういうおじいちゃんで。
    それで、亡くなって、
    1ヶ月後に生まれて、
    生まれ変わりだって言われて。

 江原 だから、きっかけが音楽だったりねしてるでしょう。
    だから、お友達、前世、おじいさん、
    こういったことの要素を全部受けて、
    今があって。

 田中 牛乳廃棄になったり、
    農政の失敗で、しぼりたての牛乳捨てろといわれた時に、
    血が騒ぐんですよね。
    ふざけんじゃねえって。
    そういう農業団体で、ひとりで抗議に行ったり、
    そうすると、
    行っちゃうんですよ。
    農家の方おとなしいから、
    声をあげないじゃないですか。
    違うと、言わなきゃだめだって、
    それで、行って、また、
    あいつはタレントだから、
    あいつは、ちょっと成功したからってバッシングされて、
    でも俺は、
    ひとりになっても怖くないんですよ。
    それは、危険だと思っているんですよ、
    自分。


 江原 だから、そこは美輪さんおっしゃった理性、
    理性で感情を抜いて、
    理性で会社をきちっとして、
    でないといろんな横槍がはいったりね、
    それより、
    みんなのためを思ってやってることなんだから、
    それを笑顔でうけていけるように。
    会社きちと基盤をして、
    それからそういうね、酪農とか農業とか、
    すべてを含めて、そういったことも改革。
    明るい改革をしてね。
    それとあと、家庭、家族への感謝。
    義剛さんのうちって、すごいみんな義剛さんをささえているのね。
    そっちへの愛情も、
    亡くなった友達の愛情だけじゃなくて、
    全部の愛情をいっぺん確認して、
    50になったからっておっしゃるけれど、
    昔は、人生50年で、
    そういう時代があったから、
    ひとつの人生の区切りとして、
    これから、なんでも短期決戦で終わっていくことの
    ないよにってことを、
    お友達、おじいちゃん、そして前世からも、
    全部、そういうメッセージなんですよ。
    でも、お友達もよかったですよね、
    いま、本当に境目。
    ご自身でも、そこの危険を感じているはずなんですよ。

 田中 感じてます。

 江原 本当に今を生きる。

 国分 ここに呼んだのも、そのお友達。

 江原 そう、いろいろあったんでしょうけれど、
    なぜ、今なのか。

 田中 何回も助けてもらっているんですよね、

 美輪 今からもそうですよ、
    でも、助けてもらってばかりで、
    坊やのままだと困るということなのね。
    逆に、もう安心しろって、
    もう、昔みたいに、瞬間湯沸し器じゃないから、
    大丈夫っていえるようになれば、
    よろしい。
    そうすると、社員もね、人望のある方だったら、
    ついてきますよ。
    苦労して、たった一人残ってくれたってことで
    感謝することを覚え、
    いいものができて、
    お客様が来てくださる。
    全部、感謝になるじゃないですか。
    今の時期だから、こういう話に耳を貸す気になったけれど、
    前だったら、
    こういう話に耳を貸しませんよ。

 田中 そうですか、
    そうですね、はい。
    そのとおりです。
    わかりました。
    目が覚めました。

 江原 ただね、ひとついうと、
    おじいさんの墓参りいきましょうね。
    そこまで、いろんなことがあったら、
    お忙しいでしょうけれどね。
    節目節目には。

 美輪 どこにあるんですか。

 田中 山形です。
    友達の墓参りにはしょっちゅう行ってますけれど、
    じいさんはいってなかった。

 美輪 商品開発とかに、興味がおありの方だったみたいだから。

 江原 アイデアを授けてくださってるかたですからね。

 国分 大事な時間でしたね。

 田中 いや、本当に貴重な時間だった。
    会社、大きくなったんですけれど、
    会社いつだめになるんだろうっていつも思っているんですよ。
    すごく今日は、自分の人生のターニングポイントになりましたね。

 国分 今日からスタートですね。

 田中 いやー、そういう気しますよ。
    ありがとうごさいました。


 国分 今日は、どうでしたか。

 田中 いやー、全部、すっきりしました。

 国分 この番組に入る前に考えていたことは、
    全部、解決できた感じですか。

 田中 はい。
    いつもいらいらいして、
    なんとか上にいこう、上にいこうとやってきたんですけれど、
    もうだめだなとわかってたんですよ。
    それを、ずばっといわれました。
    だめだ、それじゃあだめなんだと。

 国分 僕、ショックなことがあったんですけれども。
    まあ、生キャラメルの話があったときに、
    お二人にあげますと、
    言われてたんですよ。
    僕の顔を見て言われてないんですよ。

 田中 きっちり届けさせてもらいます。

 国分 よろしくお願いします。

 田中 食べてください。

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【オーラの泉】田中義剛
 10月25日(土)19:57〜 ゲストは田中義剛さんです。  今回のゲストは今や、タレントだけでなく、  牧場主としても、大活躍中の田中義剛さん。 ...続きを見る
スピリチュアルな世界へ
2008/11/03 21:42

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ありがとうございました。
見逃してしまったので、あきらめていたのですが、こうして話を伺うことが出来て、本当に助かりました。
ありがとうございました。
トト
2008/11/21 22:33
番組を見逃してしまってとても後悔して心にモヤモヤが残っていました。おかげさまで、スッキリ致しました。本当にありがとうございました。
マスター
2009/01/18 20:51

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