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「オーラの泉」スペシャル一人目のゲストは、松田聖子さん。 〇松田聖子さんのプロフィール 松田聖子(まつだ せいこ) 本名:蒲池法子(かまち のりこ) 生年月日:1962年3月10日 出身地:福岡県久留米市 血液型:A型 1980年、「裸足の季節」で歌手デビュー。 1985年、俳優の神田正輝さんと結婚。 1986年、長女の沙也加さんを出産。 1997年、離婚。 1998年、6歳年下の歯科医と結婚。 2000年、離婚。 ○スピリチュアルチェック ・小さい子ころどんな子供でしたか? いつも外で遊んでいるような元気な子供だったと思います ・何か苦手なものはありますか? 自分の意思とか力で、外に出ることができない空間に入ってしまうことです ・人生の転機はいつですか? デビューをさせていただいたときだと思います ・松田さんにとって歌とはなんですか? 生きていくための力とかエネルギーだと思います ・何か不思議な体験をしたことがありますか? 寝ているときに父が夢に出てきて、本当に話たような感じがする ・ひとつだけ願いがかなうとしたらなにを願いますか? 亡くなった父にもう一度、会って話をしてみたいです 国分:この番組の存在というのはご存知でしたか? 松田:よく拝見させていただいています。 国分:今、座っていますがどんな気持ちですか? 松田:昨日から本当にどきどきしています。 国分:さっき江原さんが、チェックの時に、 「緊張してる、緊張してる」って言ってましたが。 松田:緊張してました。 いつもTVで拝見してましたが、なんかすごく複雑な気持ちです。 美輪:あれ、この雰囲気見たことあると思って、 (美空)ひばりちゃんなのね。 ひばりちゃんがね、こういう雰囲気というか、においを持っていたの。 江原:はじめてお会いして不思議だなと思ったのは、 さっき廊下でもお目にかかったんですけれど、 その時に、瞬間的に移動なさるんですよ。 後ほど話しますけれど、一瞬にしてモードが変わる方なんだろうなと。 国分:ちょっと先走りすぎですよね。 もう終わっちゃうんじゃないかというぐらいの勢いですね。 今年、デビュー28周年を迎えた松田聖子さん 自分の信じた道を走り続け、次々に夢をかなえていく姿は いまや女性の時代のシンボルといわれています。 そんな聖子さんがどうしても聞きたいことがありました。 1962年 福岡生まれ まじめな公務員だった父と理解ある母のあたたかい愛情に恵まれ 近所でも評判のかわいらしい少女でした。 高校一年生のとき、家族に内緒で雑誌のミスコンテストに応募 家族の中で大問題となったのです。 国分:ご両親は、どんなご両親だったんですか? 松田:うーん。 父は本当に厳しかったですけれど、 今思うとものすごくやってくれて、なんか、 亡くなってから気がついて。 国分:お母さんはどんなお母さんでしたか。 松田:母は、何でも話せる母で、 今でもそうですが、逆に父とのあいだに入って説得して くれたこともありますし。 国分:子供のころも芸能界に興味があったんですか。 松田:いや、私は福岡県久留米市というとこで生まれそだったんですけれど、 すごく東京からは遠いですし、歌手になるということはあまり現実的 じゃなかったんですね。 国分:そこからプロを目指そうと、 思ったきっかけとはどんなことですか。 松田:高校一年生のときに、その時に仲のよかった友達とミスセブンティーン コンテストというのに、応募したんですよ。 書類とか歌のテープとかを送ったんですけれど、 もう、すっかり忘れたころに手紙が来て、 九州地区予選がありますので、 そこに来てくださいと書いてあったんですよ。 それ、どうしようかなと思って。 国分:ご両親には言ってない。 松田:言ってなかったんですよ。 そのオーディションに行くことすら言えなくて、 それで、そのオーディション会場が福岡の市内であったので、 私が住んでいるところから少し遠いんですよ。 だから、それに行くには一人ではいけないし、 まあちょっと違うことを言って。 好きな歌手のコンサートがあるから、連れて行ってくださいって。 母に頼んだんですよね。 そしてたら、「ああ、いいわよ」って行って連れて行ってくれたんですね。 そして、福岡市民会館っていうところであったんですけれど、 「じゃあ、私は買い物にいってるから見てきなさ」言って行って、 そして戻ってきて、 外にいる人に「うちの娘がショーを見てるんですけど、 いつ終わるんですか?」っていったら、 「えっ。今日は、オーディションですよ」って。 国分:すぐばれましたね。 松田:それで、うちの娘が入ってますので、入れてくださいって 入れてもらったらしいんですよ。 入れてもらって、そしたら私がステージの上で歌ってたんですよ。 すごく怒こられましたね、その大会で。 まあ、どうせう受かりっこないんだから、 最後までいたらいいんじゃなかっていうんです。 そして、逆に大丈夫だって思って安心して見てたんですって。 そしたら、優勝者っていって私の名前が呼ばれて、 そして、どうしようってどうやって父に言ったらいいんだって。 国分:それで、優勝されて、お父さん帰ってきたときはどうしたんですか。 松田:その日は、オーディションで遅くなって、 夜の11時とかになっちゃったんですよ、 うちに着いたのが。 それで、言えなかったんです2人とも、その日は。 言えないんです。 すごく花束とかいただいていて、 ものすごい荷物だったんです。 それも、玄関の横にちょっと隠して。 翌日も2人で、どうしようどうしようって。 でも、言わなきゃいけないので、 父が帰ってきて言ったんです。 そしたら、「何考えてるんだ」っていわれて、 だめだって言われました。 美輪:結局、納得なさるまでどのぐらいかかりました。 松田:2年ですね。 国分:どうやって口説いたんですか? 松田:まあ、そのミスセブンティーンコンテストに関しては、 辞退しなさいと。 東京へ地区から集まってくるんですけれど、 それはだめだあきらめなさいと。 だから、私はあきらめて、辞退。 でも、それから普通の生活をしていくんですね。 そしたら、何週間かして、 その当時のソニーのディレクターの方からお電話がかかってきて、 「辞退されたのはわかっているんですけれど、別の形でデビューされませんか?」 って電話がかかってきたんですね。 たまたま、私が出たんです。 国分:それも何か運命ですね。 美輪:おもしろいわね、はじめからドラマティックでしたね。 一度はあきらめた芸能界への道 それでも運命は聖子さんを歌手へと導いたのです。 江原:でも、お父さんは娘さんを思う気持ちでいろいろ反対をなさったんで しょうけれども、お父さん自身が音楽とか芸能のことをお好きでした でしょう。 お仕事もそうだし、かたくかたく生きていくという方でしたけれど、 実のところジャンルは違うにしても、音楽がお好きでした。 松田:そういう風には見えなかったですけれど、 でも、すごく楽しい人だったんです。 厳しい人なんですけれど、楽しむことも知っているような。 でも、そうですね。 美輪:それで、2年目にどうやって成仏(説得)なさったんですか? 松田:土日になると、レコード会社の人がうちに来てくれて、 両親と何度も何度も話をしてくださったりとか、 事務所の方が来てくださったりとかが、 何度も何度も続いたんですね。 そうやって続くので父も何か思うところがあったのか、 2年かかりましたね。 国分:じゃあ、行って来いみたいなかたちになるんですか? 松田:最終的にはそうですね、もう。 でも、3年という区切りで家を出されて、 「3年間、一生懸命やって、だめだったら、 家に帰って学校に行って、自分の道を歩みなさい。 それができるなら」って。 国分:その言葉を聞いた時はどうでしたか? 松田:すごくうれしかったのと、 何があってもがんばらなきゃって、 そう思いました。 1980年 18歳でデビューした聖子さん 家族の心配をよそに、80年代を代表するアイドルに成長します。 当時のアイドルの生活は、3ヶ月に一回のレコーディング、 テレビ、ラジオに出演し、夜中に雑誌の取材 聖子さんの場合、さらに映画やCMの撮影もあり、 睡眠時間は一日2〜3時間という過酷な毎日でした。 3年でだめだったら帰ってこい、そういってくれた父は、 1981年仕事の関係で、母とともに上京 再び、家族が一緒に暮らせることになったのです。 国分:いや、すごいですね、24曲連続一位と。 これは、ありましたか、自分が人気が出てきてるなというのが、当時は。 松田:いや、そういうことを当時は考える余裕が無かったような。 とにかく、一日のスケジュールをこなしていくということでしたね。 国分:驚いたんですけれど、結婚は23歳。 早いですね。 仕事も忙しかったと思いますし、両立って大変だったんじゃないですか? 松田:いや、私は、両親が助けてくれたからできたんだと思います。 もう、そのころは両親ともに東京に来てくれてましたから、 両親には助けてもらいました。 美輪:でも、お孫さんできたらおよろこびだったでしょう。 松田:そうですね、はい。 国分:この芸能界にお嬢さんのサヤカさんもデビューされたわけじゃないですか。 松田:それに関しては、私が逆に大反対をしました。 美輪:子を持って知る親の恩というところね。 松田:おっしゃるとおりです。 やっぱり、知らない世界に入って楽しいこともありましたが、 つらいこともあって、それを娘にさせたくなかったんですよ。 だから、どうか違うことに興味を持ってとずーっと思ってました。 すごく興味はあるようにみえてたので、 私はそこから遠ざけるように、絵をかいてみたらとか、 ほかのところに興味を向けようとしてもどうしても戻っちゃうんですよね。 いつか言われるんじゃないかなと思っていたんですけれど、 やっぱりきたんですよ。 やめたほうがいいと思うって言ったんですよ。 彼女も何度も何度もやらせて欲しいと。 私が所属してる事務所の社長に、 「自分の17歳のころのことを思い出してごらん」っていわれました。 親の気持ちで、子供のやりたいことをやめさせたら、 「もし、そうされていたら、聖子はどういう気持ちだ」って。 そのとき、私の母に一言、やっとわかったわねって言われたんです。 美輪:お父さんもお母さんもこの世界にいるんだもの、 しょうがないわよ、筋金いりですもの。 しょうがない。 国分:どうですか? 娘さんがテレビだったり、歌をうたっている姿とかみれるんですか。 松田:ものすごく心配なんですけれど、 でも、彼女には彼女なりのやりかたがあると思うので、 私は一切何もいわない。 これは、ぐっとがまんして、何も言わない。 娘の成長で、ご両親と同じ気持ちを聖子さんも感じているのです。 国分:20代、30代ときて精神的に何か変わってきましたか? いろいろと。 松田:そうですね、20代は、立ち止まって周りを見る余裕すらない感じですね。 季節が変わっても、こうなんかわからないみたいな、 20代で。 30代もそんな感じで。 今の40代がすごく自分の時間を持ちながら、 ペースも考えてやらせていただけてるという感じですかね。 国分:やめようとか、そういうことを考えたことは無いんですか? 松田:もちろん、ああもう疲れちゃったとかそういうのはありますけれど。 本当のやめてしまおうかなと思ったことは。 美輪:一度もおありにならないでしょう。 好きなんですもの、好きだということも考えないぐらいすきなのね。 それが生きることだと思ってるから、 生きることを毎日考えます? それとおんなじだと思うんです、生きがいだから。 ああ、生きててよかったって充実感がおありでしょう、 舞台に出た時に。 松田:逆にそのときが一番元気かもしれないですね。 美輪:ひばりちゃんと同じものを感じたのは、それだと思ったの、 さっきから何だろうとおもって分析してたの、 ひばりちゃんがそうだったの。 だからね、あの人がいろんなトラブルがあったんですよ、 だけど、歌ったり芝居したり、映画を撮ったりしてると、 全部それで帳消しになるの。 それがみんなが自分を肯定してくれてるから。 松田:本当に、ステージに出てると力がいっぱいわいてきて、 すごく元気になってくるんですね、不思議と。 江原:聖子さんにとっては特別なことではなかったと思うんですよ、 要するに自然の道。 音楽活動なさってきてね、特別やるぞーとかではなく、 自分としてそのとき、そのとき、やるべきこと、 好きなことをただこなしてきただけ、という感覚だと思うんですよ。 国分:女性ファンの中で、女性のあらゆる夢を実現した人と。 ここら辺はどうですか? 松田:なんか、そのときにやらなきゃいけない、 やらなくっちゃってことを、 なんか、夢中でやってきたって感じなんですよ、 自分自身は。 美輪:私が昔、聞いたところによると、 女の方のファンって圧倒的に多いじゃないですか、 どうしてかっていろいろ聞いたりしてますとね。 誰だって、自分の生きたいようにやって、 やりたいようにやる、 好きな人恋愛して、結婚して、 仕事もして、いつまでもきれいで、若くて生き続けていて。 そういうのって理想よねって、 それが漫画の主人公みたいにあこがれるわけですよ。 でもそれは、現実的に不可能だし、現実的にいないし、 でも、松田さんを見るといるのよね、っていうことなの。 ああ、それでファンなの、 女が女のファンになるということのね、 だから、根が深いんですよ ただ、聖子ちゃんがきれいで、歌がうまいからとか、 そういうものじゃないのね。 国分:同性から人気があり、ファンが多いというのは僕にとっては うらやましいことであるんですけれど。 美輪:日本では、女、子供を敵に回したら商売にならないのよ。 つまり、日本の文化は女性の支持層が圧倒的に多いんですよ。 男はキャバクラ行ったり、文化には社会人になるとみんなそれ どころじゃなくなったり、もう音楽なんていらない、映画館もいかない、 テレビ番組とニュース番組とかばかりみてたり。 だから、男を相手にしてたら商売にならないのよ、 この日本は。 男には文化が無いから。 だからね、女性に支持されているのは息が長い証拠ですよ。 国分:不思議な体験ということで、 お父さんの不思議な体験というのが。 松田:夢を見るんですね、父親との。 夢にでてくるんですけれど、夢の中で会話をするんですよ。 夢がさめると、えっ夢ってぐらい、 抱きしめてくれると、感触とかが夢とはおもえないぐらい 残ってたりするんですよ。 それが、何度かあって、これって夢なのかなーって 同じ夢ではないんですね、 話の内容も違いますし。 国分:お父さんからメッセージみたいなものはもらっているんですか? 松田:ちゃんとサヤカは元気にしてるか? ちゃんとサヤカと仲良くすんだよとか。 そんなちゃんと話をするんですよ。 夢の中で父は亡くなっているというのはわかるんですよ、 お父さん来てくれたのっていうと、 そんなに長くはいられないけれどっていうんですよ。 もちょっといてっていうと、 そう長くはいられないからって。 それで抱きしめたりしてくれるんですよ。 それは、私の中では夢なんですけれど、 すごくリアルなんです、なんか。 江原:それはね、 形としては夢なんですけれど、 でもそれは夢ではなくて、実際にお会いになっているんですよ。 なにしろ、聖子さん自身を守ろうという気持ちが強い人ですからね、 もともと。 全部、自分自身が防げることは防いでいこうと、 それは、生きていた時もそうだったと思うんですよ、 それが親として自分ができることという使命感の強い方だったのでね。 本当に子煩悩な方だと思うんですよ。 松田:はい。 国分:もう来るなとか感じたりするんですか。 松田:来るなとか感じたりはしないんですけれど、 でもステージとかで、今、父がいたような感じがしたりとかいう感じは あったりするんです、結構。 何の根拠もないんですけど、自分の気持ちだけで。 今も聖子さんを見守る父の思い 江原:ちょっと気になるんですけれど、 お骨を分けようという話になったんですか、最初。 お墓が二つあるんですって。 松田:いや、あの、二つというか、 父はもともと福岡県の柳川なんですけれど、 うちの兄が長男で、神奈川の方におりますので、 神奈川が近いから、こっちの方に持ってきたほうがいいんじゃないかな という話があったんですよ。 近くにみんないたほうがいいんじゃないかなという話があって、 今、現在は柳川なんですけれど。 江原:それだったらまだ間に合うからもうしあげるんですけれど、 お父様はね、望郷の念が強いんですよ。 だからね、できれば残しておきたいというのがあるんです。 申し訳ないけれど、聖子さんのためにこっちに残ったところがあるんでね、 娘をね、守りたいという一心だけだったからね、 だからそれでいらっしゃったけれど、 東京にはなじめなかった。 それはね、食べ物にいたるまで。 松田:そうです、それはいつも言ってました。 江原:ぐちっていうのは変だけれど、ぼそっといいますでしょう。 そういう意味で、間に合うなら置いといてほしいと、 そこはひとつ親孝行してほしいといっているんですよね。 家族のためにやってきたじゃないですか、 そこだけはやってほしいというのがあるんですよね。 松田:そうですか、はい。 国分:東京にご両親が来たときというのは、 いっしょに住んでいたんですか。 松田:そうですね、はい。 両親ともに私のことが心配で、来てくれたというところがあるんです。 江原:親の気持ちなんでしょうね、 苦労の多かったこの土地に、感謝はあるんだけれどどこかゆるせない ところがあってね、 本心で心を許した土地ではないというのがあってね。 松田:はあ、そうですね、きっと。 江原:守る、防備ばっかりの気持ちだったって。 美輪:そりゃそうよ、マスコミのさがっていうのか、 マスコミの本当の正体、 スターを作り上げて胴上げするんですよ、 胴上げは3回までなんですよ。 4回目はおっことして、土をつけて、泥だらけにして、踏みにじる ために最初から計算していて、胴上げするんですよ。 持ち上げたらそれで記事になって、半年ぐらいマスコミは食いつな げるわけ、そして、スキャンダルを書くと半年、一年とお飯の種が 増えるんですよ。 それの繰り返しをするわけ。 皆さんそれをやられてますよ、 それでつぶれるのがふつうなんだけれど、 松田さんは、それを乗り越えてらしたから、 立派なもんですよ。 国分:お父さんが守ってくれた部分もあるんですかね。 江原:苦しいときだけお父さんに相談。 本当に苦しいときだけなんですよね、いつもじゃなくて、 聖子さんが相談にくるときは相当苦しいときだって。 以心伝心で全部わかるわけだから、 ぐちといいなが、本人のなかで決意しているんだって、 決意表明をきくというか、そういう感じなんですって。 松田:そうですね、 相談はするんだけれど、自分の中では決まっていたのかもしれないですね。 江原:すごくね、以心伝心でつながってる親子なんですよね。 40代を迎えますます輝きをます 松田聖子さん 両親の反対を押し切って飛び込んだ芸能界 仕事でもプライベートでも自分が信じた道をすすみ 望みをかなえてゆくその強さの秘密とは。 江原:さきほどお見かけしてね、 これほど冷媒体質で、ひょいひょい、ひょいひょい変わる人でね。 そのときは、常に自分はナチュラルなんだけれど、 まわりが、ぜんぜん変わっちゃったねとか、 別人だったとか、 わりとモードが、ぱっぱっ、ぱっぱっ変わる。 さきほどから気づかれてないかもしれませんが、 ご自身の話のとき、こういうお話のとき、 お母さんとしてのお話のとき、 ぜんぜんかわるんですよ。 松田:はあー。そうですか。 江原:だから、最初から、 ナチュラル、ナチュラルといっていたように、 そのときは自然体で、 あら、わたしちがうかしら、 あら、極端だったかしらとか、 まったく意識してないと思うんです。 松田:はあー。 娘と話をしているときですね、 お母さん話が次から次へと飛ぶって言われるんですよ。 話題が、次の話になって、すぐ次の話になって、 私、早いっていうんですよ。 江原:私、霊視してて、娘と会話してるという話がありましたでしょう、 ときどき、ぜんぜんかみあってないって。 お互いが、てんでんばらばらの話をしてたりする。 松田:そう、私は次の話をしてるのに、 彼女は、前の話をしてることがあるみたいで、 一応、会話はしてるんですけれど、 えっお母さんほかの話をしてたのみたいなことはあるみたで、 娘に言われるんですよ、 すごく早いって、話題の切り替えが。 でも、私の中では、えっ遅って感じなんです。 美輪:いまおっしゃられたように、 自覚症状がないのね。 最初は戸惑うかもしれないけれど、 おもしろいわよね。 一人の女なのに、何人も入れ代わり立ち代りするから。 江原:でもね、支配しようと思ったらいきなり跳ねのけますよ。 それは、強いと思いますよ。 だって、束縛されてきた流れがあるんですもん。 松田:じゃあ、束縛がいやなんですか。 江原:恋愛とかで振り回される人がいるでしょう。 だめなの。 自分がかじとりしなきゃいやなの。 人によっては、全人格をささげちゃう人とかいますでしょう、 それがいやなはずです。 ご自身で、わりとナチュラルに育ってきたらあまり考えてらっしゃら ないかもしれないけれど、女性だからとかいうのがあんまり好きじゃ ないんですよ。 たとえば、女性だから働くのはおかしいとか、 働いちゃいけないと、女性は家庭で働くとか、 女性はここまでしかやっちゃいけないとか、 そういうことに、意識して反発することは無いにしても、 どうして、どうしてっていう気持ちのほうがすごく強いきがするんで すけれど。 松田:そうですね、そうかもしれないですね。はい。 江原:大きくいうと、女性の人権という、 もっとのびのび生きれるはずでしょっていうことを表現しにきてるの は確かなんですよ。 だから、音楽は伝えるもであったり、メッセージであったり。 だから、自分で起業したり、働いてる人みると、 励みになったりするだろうし、 仲間だなとおもったり、応援したくなるだろうし、 でも、それをずっとエールを送るお仕事は役目だから。 それで、世の中の女性は勇気付けられてるんじゃないですか。 美輪:まったくそのとおりで、人妻だからしちゃいけないとか、 家に引っ込んでなければいけないとか、 かつてはそういう差別がいっぱいあったじゃないですか、 結婚したなら、芸能界とどっちをとるんだとかね。 両方とるだなんてとんでもないって、 社会の枠が決められてたでしょう。 性差別とかいろんな差別があるじゃないですか、 そういういろんなことをぶち壊していって、 そして、たたかっていらしたわけでしょう。 それで、いまだに松田さんのことを応援し続けているわけでしょう。 だから、男とか女とかじゃなくて、人間としてどうあるべきかとか、 人間として戦っていればいいじゃないかと。 素晴らしい人間ありつづければそれでいいと戦い続ければいいわけでしょう。 お忘れにならないように、フランス革命のときの有名な絵がありますよ、 それを印刷したのをいろいろな本にでてますしね、 自由の女神が旗をもって突撃ってしてるのがあるのね。 あれをみると、あっあれは私だ、自由のためにたたかっているのね。 何ものにも束縛されない、この世で一番大切なのは自由だっていうことね。 女性だという理由で夢をあきらめたくない 結婚して子供ができてそんな理由で女性を縛ろうとする、 いろんな制約と戦い自分に正直に生きる そんな聖子さんを支えたのが、 家族の絆でした。 江原:あの、お父さんこうおっしゃるの、ご本人でね。 娘の苦労を見てきて、自分が変わってきたって、 要するに、サポートしなくちゃいけないってところでね。 ひとつだけありがたかったのがね、 やっぱり、聖子さんのおかげでみんなが結束できたって。 不思議なもんでね、嵐が吹かないとみんな結束しないと。 たとえば、平和だとみんな好き勝手考えるって、 でも、家族が山こえ谷こえするときは一丸となるということですよね。 だから変な言い方だけれど、 重荷にならないでくださいね。 ご家族のために、自分の人生、 半分プレゼントしたんですね。 松田:はあー。はい。 江原:だから、聖子さんは、聖子さんだけの活躍じゃないんですね。 お母さんがオーディションに連れてかれたみたいにね、 家族でおみこししょってるみたいなところがあるんだと思うんですよ。 松田:はい。 江原:それとね、ぜんぜん、余談だけれど。 そんなに冷える冷えるって言うんだったら、 ちゃんと自分でしなければいけないっていうこと、 だから、寒がり。 松田:えっ、そうなんです。 すっごい、寒がりなんです。 江原:だから、寒い寒い、冷える冷えるになっちゃうから。 冷え性、寒がりなのに、自分じゃなんとかしないの。 だれかがつけてくれるから。 松田:そう、うちの父が生きてるときに、 秋になって寒くなってくると、父が全部暖かいものに変えてくれたりとか、 会話はないのに、全部、父がやってくれたんです。 だから、父が毛布とかを変えてくれると、ああ冬がきたとか、 それを全部、父がやってくれてたんですよ。 美輪:だから、いまでも心配してくれてらっしゃるのよ。 江原:それを、ご自身でやらなければいけない。 松田:私はそういうことに無頓着で、あまりそういうことをしないから。 そういう季節になると、ああ、父がやってくれたのになって、 思い出すんですね。 江原:まあ、聖子さん、 孝行したい時に親は無しとか言いますでしょう。 お父さんのことをもっと聞ければよかったですね、 生きていたときに。 松田:そうですね。はい。 江原:娘として自分のことは話すけれど、 お父さんはどうだったのとか。 美輪:ちっちゃいときは、みんなそうで、 自分のことで精一杯で、両親のことなんか、 なんにも知らない人が多いわよ。 江原:だから、不思議と、 亡くなったりすると、知りたくなるんですよね。 松田:そうなんですよ、両親とか、 私よりながく生きていてるれるような気がしてたんですよ。 いつもつねにそばにいてくれる存在というか、 父が亡くなったとき、すごくおかしいなと思ったんです。 何か、この状態が、だから、ずっと出張にいってるみたいに思っていて。 でも、本当に亡くなったというのを思うと、 ああしておけばよかった、こうしておけばよかったと、 もっと父と時間を過ごしておけばよかったとか、 それは、すごい悔やまれるんですけれど。 うん、そのときは気づかなかったんですね。 美輪:でもお父さんはしあわせよ、そうやって、 いつまでも偲んでくれて、思ってくれてる家族がいることはね。 あちらにいらしてもとってもしあわせだと思いますよ。 江原:でも、お父さんはおだやかな顔になられて、 最後はくるしかったんですよ。 お水をたっぷり飲みたかったって。 呼吸がくるしいのと、水をたっぷりのみたかったのが、 でも気道がくるして、早く行かしてほしいという気持ちのほうが 強かったんですって。 最後は、何が望みだったんですかって聞いたら、 お水をごくごくと飲むことって。 でも、ちゃんと水を供えたりしてくれたから、 自分はもう大丈夫って。 松田:そうですか。 最後は、肺にがんが転移してたので、 本当に呼吸ができなかったので、 最後はすごく苦しかったと思います。 江原:でも、すごく早いと思いますよ、 これだけおだやかになるのには。 思い残すことなく、行きぬけたんでしょうね。 美輪:お父さんに関しては、 何も心配したり、後悔したり、 そういうマイナーなことで、 お父さんを思うこととはさらさらないということですよね。 今日を限りに。 松田:はあ。そうですか。 美輪:いま、現世にいらしたころのように、 おだやかに生活していらっしゃるのだから。 松田:ああ、そうですか、 じゃあよかった。 国分:最初から、お話を聞かれていかがでしたか。 松田:いや、本当にすばらしい時間をいただけて、 今日は、あの、本当にうれしいです。 ★オーラの言葉★ 結婚は現実、恋愛は夢 結婚式は夢との決別式 そう覚悟しておけば 幸せになれる |
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オーラの泉 スピリチュアル
交霊 亡くなった人と話がしたいので、本当に交霊出来る人を探しています。どなたか関西地方でご存知の人いませんか?江原啓之さんや、石田千尋さん、和田良海さんみたいな有名な人がいいです。... ...続きを見る |
スピリチュアルな世界 2008/10/15 23:26 |
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